【人の最期】

祖母が亡くなった。
人はいつか死ぬ。
そんなことは、もちろん知っていた。
祖母は90歳を超えていたし、ずっと元気でいられるわけではないことも分かっていた。
それでも、本当にその日が来てしまうと、なんとも言えない気持ちになった。
人って、本当に死ぬんだな。
当たり前のことなのに、そんなことを思った。
人の一生は、思っているよりあっけない
祖母が亡くなってから、いろいろなことを考えた。
長い人生だったと思う。
いろいろな出来事があって、たくさんの人と出会って、家族ができて、子どもや孫ができて。
きっと僕の知らない人生がたくさんあったはずだ。
それでも、最後の日は来る。
そして一人の人間の長い人生が終わる。
なんだか、あっけない。
そして、とても切ない。
僕はこれまで「人はいつか死ぬ」ということを「当たり前の事」として理解していた。
でも祖母が亡くなって、初めて少しだけ実感したのかもしれない。
人生には、本当に終わりがある。
家族との時間にも終わりがある
そして、もう一つ考えたことがある。
家族との時間も、ずっと続くわけではないということだ。
今は家に帰れば妻がいる。
娘がいる。
犬たちがいる。
休日になれば、一緒に出掛けることもできる。
ロードトレックに荷物を積んで、
「どこへ行こうか」
なんて話をすることもできる。
僕にとっては、あまりにも普通の日常だ。
でも、本当は普通ではないのかもしれない。
娘は大きくなる。
いつか親との旅行より、自分の友達や自分の人生を優先するようになるだろう。
夫婦だって歳を取る。
今のように自由に出掛けられなくなる日も来る。
犬たちとの時間だって永遠ではない。
そして僕自身にも、いつか終わりが来る。
分かっていたはずなのに、祖母の死を前にして、急に現実味を帯びた。
家族と一緒にいられる時間には、限りがある。
頑張ることばかり考えていた
最近の僕は、資格の勉強をしていた。
仕事をしながら勉強して、試験に合格したいと思っていた。
もちろん、それ自体は悪いことではない。
新しいことを学ぶことも、何かに挑戦することも、これから先も続けていきたいと思っている。
でも僕は時々、夢中になると周りが見えなくなる。
「勉強しなければ」
「今日はここまでやらなければ」
「合格しなければ」
そんなことを考えているうちに、家族との時間まで削ろうとしてしまう。
でも祖母が亡くなって、ふと思った。
そこまでしなくてもいいんじゃないか、と。
資格は来年だって挑戦できる。
勉強だって続けられる。
でも、
今日の娘には、今日しか会えない。
今日の妻との時間も、
今日の犬たちとの時間も、
二度と同じものはやってこない。
それなら、家族との時間を削ってまで何かを手に入れる必要が、本当にあるのだろうか。
そんなことを祖母から教えてもらったような気がした。
ロードトレックで旅をする理由
考えてみれば、このサイトを作った理由も同じだったのかもしれない。
ロードトレックに乗って、いろいろな場所へ行った。
海へ行った。
山へ行った。
温泉にも行った。
高速道路のサービスエリアで眠った夜もある。
目的地を決めずに走ったこともある。
もちろん、どこへ行ったのかも大切だ。
でも今思い出すのは、意外と観光地ではない。
ロードトレックの中で家族と食べたご飯だったり、
娘とくだらない話をしたことだったり、
妻と飲んだお酒だったり、
犬たちと歩いた朝だったりする。
僕はロードトレックが好きだ。
古いアメ車だし、手も掛かる。
大きいし、運転だって楽ではない。
それでもこの車に乗り続けているのは、もしかするとロードトレックそのものが好きだからだけではないのかもしれない。
この車の中で過ごす家族との時間が好きなのだと思う。
思い出は持っていける
人生の最後に何が残るのだろう。
お金なのか。
仕事なのか。
資格なのか。
車なのか。
もちろん、どれも人生を豊かにしてくれるものだと思う。
でも最後の最後まで自分の中に残るものは、案外、誰かと過ごした時間なのかもしれない。
あの日、家族で海へ行ったこと。
娘と笑ったこと。
妻と旅をしたこと。
犬たちと歩いたこと。
祖母と話したこと。
そういうものなのかもしれない。
物はいつか手放す。
ロードトレックだって、いつか僕の手元からなくなる日が来る。
でも、この車で家族と過ごした時間までなくなるわけではない。
だから、これからはもう少し素直に生きてみようと思う。
ロードトレックに乗りたければ乗る。
娘と遊びたければ遊ぶ。
妻と出掛けたければ出掛ける。
犬を撫でたければ、しばらく隣に座って撫でていればいい。
勉強したい日は勉強する。
何もしたくない日は、何もしなくてもいい。
人生を全部「将来のため」に使わなくてもいいのだと思う。
未来のために頑張ることと同じくらい、
今ここにある時間をちゃんと生きることも大切なのだ。
祖母が亡くならなければ、こんな当たり前のことにも気づかなかったのかもしれない。
人の人生には終わりがある。
家族との時間にも終わりがある。
だからこそ、今一緒にいられる時間を大切にしたい。
ロードトレックであと何キロ走れるのかは分からない。
あと何回、家族みんなで旅に出られるのかも分からない。
それでも、行けるうちは行こうと思う。
たくさん走るためではなく、
たくさんの場所へ行くためでもなく、
大切な人たちと過ごすために。
走った距離よりも、過ごした時間を覚えていたい。
祖母の死は、そんな当たり前のことを、僕にもう一度教えてくれた。